ケイペイント

ケイペイントについて

幼少時代から塗装のなれそめ

こんにちは、木村啓です。(キムラケイ)
僕たちケイペイントのホームページをご覧いただきありがとうございます。
ケイペイントという会社の事を皆様に知って頂きたくケイペイントが出来るまで、そして木村啓という人物像をお話しさせてください。

少し長くなりますが素直に今までの出来事をお話しします。

1986年5月23日埼玉県越谷市で産まれました。
僕の最初の記憶はペンキだらけの作業着の父親でした。父はいつもペンキだらけのニッカポッカに小銭とお札がそのままポケットに入っているコーラが大好きな豪快な父親でした。父はとても恐く怒ると手がつけられない暴れん坊でした。

母は父の会社の経理や営業をしていました。母が居たから今の僕が居るし感謝しても感謝しきれない今もこれからもこんなに尊敬出来る人間はいないんじゃないかなと思います。
母はどんな時でも仕事、仕事の人でした。熱が出てもギックリ腰になっても弱音なんて吐かず仕事優先の人でした。休んでいるのを見た事がありませんでした。

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そんな両親の元で育ち14歳年上の兄も父親の会社で塗装職人でした。兄はとても優しくふざけている人でした。最初の記憶が兄の事をあんちゃんと呼んでいる頼りがいのある兄でした。幼稚園の時よく兄を起こしてこいと言われ起こしに部屋に行くと兄はいつも朝部屋にいません。
押し入れに隠れて寝ているのです。
よく父に怒られていました。そんな僕とは真逆の人付き合いが上手く社交的な頼りがいがある兄です。そんなペンキ屋家族で育ち2階と3階は住居で一階は事務所になっていました。産まれた時から職人さんに囲まれて下に降りたらペンキの缶とコンプレッサーがありました。ガン屋さんとペンキ屋さん両方の職人さんがいる会社でペンキ屋になるようにして産まれてきたのかな?なんて今は思います。

小学校の夏休みや冬休みは仕事を手伝ってみるか?とよく言われましたが独特のペンキの匂いと何だか恥ずかしくてやりませんでしたが助手席に乗りよく現場に連れて行かれました。
足場は今と違いマルタです。昔は今と違い足場を足場屋さんじゃなく自分たちでマルタを組んでいました。いつも笑顔のギャンブルが大好きな職人さんたちも真剣な顔で肩に何本もマルタを担いでバンセン、針金で縛っていきます。

それが終わると新築が多かったので吹付です。吹付が終わるとペンキ部隊がハケで色々な所を仕上げていきます。みんな事務所に居ると笑顔で僕と遊んでくれた人たちも仕事になると真剣に怒鳴ったりしていました。父親もよく職人さんたちに怒鳴りとても怖かったのを覚えています。(笑)

小学校3年生だったか、父親の会社が傾きだしました。原因は色々あったと思いますが父の遊びすぎです。京都から東京に出てきて職人で叩き上げで来た父親は仕事も遊びも豪快でした。大人になり周りの人から聞きました。毎晩スーツを着て飲み歩く週に何回かはスーツを売りに来る営業マンが家にくる。兄はその頃には家を出て色々な職種をへて営業マンになっていました。父親の会社が傾き家を売り家族がバラバラになりました。そこから借金とりが来たこともありました。思い出したくない子供時代です。(笑)

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そこから5年生ぐらいから母に引き取られ上の階には兄が住みお風呂も部屋もないビルに住んでいました。朝から夜まで母も兄も仕事で居なくとても寂しい小学校高学年。そんな寂しさを知ってか知らずか心の隙間を埋めてくれたのは幼馴染や友達でした。そんな友達が出来てから学校に行くのが楽しくなりその仲間たちと中学生になりました。中学生になったら机に座って先生の話を聞いたりみんなと同じ事をするのが苦痛になりだんだん学校に行かなくなります。学校に行かなくなったら先生たちも親も最初は口うるさいですが何も言わなくなります。みんなが受験している頃も僕は遊んでいました。将来?大人になるの?進路?頭の中は?だらけで先生にも進路はどうするんだ?など言われましたがやりたい事なんかありません。

1人の先生が啓、手に職を付ければ一生食っていけるぞ!学歴なんて関係ないぞ!と話してくれた人がいて父の事を思い出しました。ただこの頃は反面教師で誰かに轢かれたレールの上を歩きたくないと思っていました。僕だけ進路が決まらず受験の時も中学3年生の時はほとんど学校もいきませんでした。今では考えられないけど学校に行くと先生が何人も来て車に乗せられデニーズに連れて行かれモーニングを食べて家に送ってもらうというルーティンがありました。(笑)

卒業式だけは大好きな仲間と共に出れたのは良かったなと思います。

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色々な仕事を経て修行時代へ

中学を卒業後しばらく僕は無職の親のすねかじりでした。最初にやった仕事はアスベストの除去の仕事で今も親友である友がやっていたのがキッカケです。

この頃には14歳年上の兄は自分で会社を興して母と一緒にバリバリ仕事をしていました。兄は営業マンをずっとしていたせいかとにかく明るいし口がうまい。弟の僕から見てもこの兄は何で自分は?と思う事がよくありました。
兄も父みたいに怖く、あの当時は引っ叩かれたりした事もありましたが子供の頃から変わらず大好きな兄の背中をずっと見ていました。そんな頃から木村さんの息子から木村さんの弟って言われる事が増えてそれが本当に嫌でした。僕の名前は木村啓だ!そんな思いが強くなり今のケイペイントって社名に繋がります。 17歳になったばかりの頃、兄から兄の会社に呼ばれました。恥ずかしがり屋の僕はこの頃は存在が大きすぎる兄とは恥ずかしく話せませんでした。

そんな兄から、そろそろ真面目に仕事したらどうだ?一緒にペンキ屋やるか?恥ずかしいけどとても嬉しかった。僕の人生において影響力のある1人それはまぎれもなく兄です。照れながらやるよと話しました。次の日から修行時代の始まりです。その当時は30人近く職人さんも居て地元の怖い先輩たちも居ました。そんな怖い先輩たちを束ねる兄を見て自分もいつかこうなりたい!でもなれないなとか思っていました。

仕事は誰も見ていない時は足場で寝ていたり仕事サボったりと、まだまだ仲間と朝まで遊ぶのが忙しくて仕事を舐めていたクソガキでした。(笑)

毎日なんとなく仕事してなんとなく生きていました。そんな僕が本気で仕事をし始めたのは19歳の頃に親友の結婚式のスピーチをした時です。人前で話すのなんて絶対嫌だし恥ずかしく人見知りな性格でした。
だが親友からのお願い、子供の頃から共に成長してきた親友の晴れ舞台になんだか胸が熱くなり自分はこのままでいいのか?自分の目指す所は?そんな思いが強く現れて自分はペンキ屋として生きていく!そう思った日から仕事をにわからない事は聞いて真面目にやらせてもらうようになりました。

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その出来事がケイペイントの始まりです。真面目に塗装屋をやるようになり23歳の頃に兄が27歳の頃に会社を興したからそれまでに自分も独立したいと思いました。

そんな時に友達から越谷の赤山町に仕事に厳しい必ず成長できる人がいるよと話をもらい兄の会社を辞めてその会社に行きました。僕の考えや仕事に取り組む姿勢をまるっきり変えてくれ僕の人生に影響を与えてくれた2人目の人との出会いです。普段は優しい口の悪い社長です。この社長もポケットに小銭とお札を入れて財布を持ちません。毎日銭湯に行き仕事になると毎日怒鳴り頭引っ叩かれたりしましたがとても優しい心の責任感が強い究極のせっかち社長です。(笑)僕もせっかちって言われますがこの社長の影響かな?笑。普通にローラーで塗装しているとチンタラしてんじゃねー!と怒鳴られご飯を食べてればチンタラ食ってんじゃねー!とにかく仕事中は何しても怒鳴られ挨拶代わりに頭引っ叩かれます。(笑)

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あの時は嫌だったけど今振り返ると今の自分があるのはあの社長のおかげそしてどこか父親に少し似てる社長は大好きでした。この社長の下で3年弱?修行して周りから凄く変わったといわれました。その後やめてから未だに社長が怖くてあってないけど僕の親友が偶然飲み友達になり僕の話になり笑顔で喜んでいたって話を聞いた時は涙が出てきました。口より先に手が出る情に熱い面倒見のいい社長ってより親父です。その社長の元を辞めて1年間ガン屋さんの所で修行して独立しました。この時の人たちも今だに連絡を取り合い切磋琢磨してます。

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独立してから

予定より1年遅れて28歳で独立しました。最初はガムシャラです。元請けさんなんていません。知り合いの紹介の大工さんから仕事をもらいそれも長くは続きません。みんな独立したらお客さん紹介するよって言ってくれたけどほとんど紹介なんてしてくれませんでした。(笑)ただ今思うとそんな人任せじゃダメです。休みなんていりません。

最初の一年は休みなんて無く現場が早く終わったら営業回ってみたり、でも口下手な僕は仕事なんかとれません。知り合いの塗装屋さんに応援に行ったりそんな一年目でした。30歳になるぐらいまでがそんな感じで従業員も出来て元請けさんが増えてきました。休憩も休みもないのによくこんな僕について来てくれたと未だに感謝してるし、今は別で働いてるけど仕事が暇になったら手伝いに来てくれたりこの従業員が居たから今のケイペイントがあります。
それは断言と感謝してます!
この頃は全て下請けで屋号もKペイントで地域1番店になるとかもあんまり思ってもいなかったけど今のままでは金額も安いし思うように仕事が出来ない。

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そう思っている頃に2018年前後に30歳ぐらいの時かな?兄から凄い社長たちとフィリピン人の実習生の面接をするから来てみるか?とまた僕の人生にスパイスを加えてくれる兄からの誘い。断る理由がありません。そこで一個年上の幸手の元請け化している社長に出会いました。これが僕の人生に影響を与えてくれた社長です。年が一個上なだけあって色々な仕事の話を相談しました。ポジティブマインドな社長で僕がどんなマイナス発言をしてもプラスに変えてくれる社長でした。この人のおかげで僕もポジティブマインドになり仕事も挑戦するようになりました。未だに交流がありこの人の影響で関西ペイントのリフォームサミットに加盟しました。

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最愛の人との別れ

僕には子供の頃から知っている父親の会社から居て父親の会社が傾き兄と母が会社を興して兄の会社に行った青山さんって言う兄の右腕の人との事も話させてください。青山さんはガン屋さんで材料作るのが遅いと足場の上から缶を投げて怒鳴るような無口で凶暴な人でした。(笑)振り返ると僕の周りは凶暴で優しい口下手な人が多かったと思います。僕も感情表現は苦手です。青山さん弱音なんか一切吐かなかったけど20代後半からガンになりそれも誰にもいわずガンと戦っていました。

そんな青山さんとの思い出も深く濃いもので何度も入退院を繰り返して何度も手術をしてガンと戦って仕事に復帰してきました。もう休んでくれよ心の中ではそう思いました。みんなガンだって言うのは何となく気づいていました。最後の入院の時に誰にも合わなかった青山さんが自分には会うって言ってくれ病院に行きました。初めて行くがんセンター。まさか青山さんがこんな所に?看護婦さんとか先生を怒鳴ったり殴ってないかな?なんて最初は思いました。

受付で名前を言うと心の準備が出来るまで待ってと看護婦さんに言われ30分ぐらい待って看護婦さんまた来るので伝えて下さいと帰ろうとすると手を掴まれ今日会わないともう会えないかもしれません。
そう言われてドキドキしながら呼ばれてドアを開けました。
ドアを開けた瞬間に泣き崩れました。

あの青山さん?いつも強気な?謝るのなんて大嫌いな?元請けさんにだって誰にだって向かって行った青山さん?痩せ細りかつての面影はありません。泣いて話していません。青山さんも泣いていました。

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最後の言葉が、こんな俺のために泣かないで、もっと仕事がしたかった。
その後亡くなりました。
お通夜も終わり煙を見ながら青山さんの想いを受け継ぎ青山さんにも誇れる会社を作りたい。
そう思った日でした。

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法人化

2020.8.27
売り上げも少しずつ上がり青山さんの想いを受け継ぎ法人化。

不安しかなかった法人化!このタイミングでずっと僕に着いてきてくれた従業員の退社そしてそんな時に僕に新しくついてきてくれた仲間。出会いと別れの法人化。
覚悟は決まった!不安は大きいが僕を支えてくれる仲間、家族そんな人たちの為に!そしてよりよい技術提供を出来るように更に進化する。勉強嫌い、仕事も嫌い、そんな塗装屋の見習いからのスタートでした。

一生懸命やってたら元請さんやお客様が評価してくれ仕事が無くて困っていた時代とは正反対で仕事がたくさん入ってきた。本当にありがたいし感謝しても感謝しきれない。

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最後に

塗装職人 塗装会社の意味

ここまで読んでいただきありがとうございます。
最後に塗装職人の意味とは?僕たちは塗装のプロです。
口下手で営業能力はありません。

ただ手抜き工事やお客様の家を綺麗にしたい。
塗装じゃ他の会社や大手ハウスメーカーなどには負けない。
お客様からのありがとうの言葉を集めるために!

これをミッションに掲げて僕たちケイペイントは意地とプライドを持ち仕事をしています。
不器用だけど真っ直ぐにお客様の家は自分の家!
そんな気持ちで一致団結してチームで作業しています。

代表 木村啓

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